「正欲」安全と欲望の間の境界線

専任の大学の教員となって2年目を迎えた。

私のいる大学は、研究機関というより教育機関の色が強い。だから、社会や地域の問題解決の前に、学生の問題解決を行うことが多くなる。

学生の問題解決が、社会や地域の問題解決につながると考えているから、大学側の意向とマッチしているし、そのために力を注ぎ込むことは、苦にならない。

苦にならないからこそ、沼にハマる。ものすごい深い泥沼なんだけど、沼がほんのり温かいからさらに居心地が良くなる感覚さえある。ちょっとした覚醒感さえも感じてしまう。まあ、充実しているということだ。

という背景があるため、私は非常に忙しい。47年間生きてきて、その履歴を振り返っても、ここまで忙しかった経験はない。サラリーマンだったころは、あまりにも仕事が順調すぎて3%くらいの労力で目標達成もできていた時代もあったと自覚するくらいだ。

大学には7時半くらいには出勤をして、そのまま毎日23時くらいまでほぼ分刻みでプロジェクトを進行する。ここには、プライベート領域だろうと言われる食事もコーヒータイムも、筋トレやジョギング、ヨガをする時間ももちろん入れているけれど、なによりそれらが分刻みなのだ。こうした活動が、まったく苦だと思わない理由の一つは、多くの案件が「承認をともなわないプロジェクト」だからだ。自分の経験値で意思決定し、社会の標準値と照らし合わせることなく自分の欲求のママに進行できているからだとも言える。「誰かのため」に深入りし、その基準値を求め、そこにジャジメントする賢者をいれていたら、おそらく今の行動量は、心身ともに崩壊しているだろう。

そんな大学で、私よりもはるかに早く出勤をして、さらに私よりも遅くまで仕事を続けている教員がいる。私の研究室のとなりでコミュニティデザイン領域を担当する同世代の識者。学生をはじめ地域住民などとの丁寧なコミュニケーションがとれるファシリテーター能力に長けていらっしゃる(と思われる)風貌と話し方で、非常に温厚でありながらエネルギーのある力強い方だ。そんな彼から1冊の本をお借りした。

朝井リョウの「正欲」だ。

朝井リョウの作品は、今まで1冊も読んだことがないので、その考え方もスタンスも知らないので、少しずつ方向性を探りながらインストールしながら、読み進めた。

この本の書評をするほど暇ではないので、書評は他の口コミサイトに譲るが、私は「人間が安全に生きられる社会はどのような環境なのか」を考えさせてくれる一冊だと感じた。

人間の根本的な欲求は、本書でも冒頭で取り上げている「死なないように生きる」ことに起因しており、その大前提のもとに社会を形成、維持している。死なないように生きるために、欲求を正当化しつつ、その欲求によって殺されないようにするために防備していく。社会が成熟してくると、ここに線を引いて、ここから先は行ってはだめという「基準値」を設けて、それを法のもとの教育という形でインストールして、それで殺されなくなったという安全実績を手に入れて、さらに「基準値」という名の線を太く、濃いものにしている。

基準値は地域や宗教、コミュニティによって違いがあるので、その違いで戦争も起こる。そして長年の実績と紛争を繰り返して、今この瞬間の「基準値」ができあがっている。その基準値を「常識」として塗り替えて、上から目線で意識高い系が、恍惚としている現代社会が、Z世代前のSNS社会時代なんだと思うけれど、それは置いておいて、基準値がどこにあるかで闘争をする方々には、いつも本当に頭が上がりません。ものすごい労力をかけて、この基準値の微調整をする仕事をしている。私はそのような仕事はしたくない。

さて、いっぽうで人間の欲求の広がりについては、人間が取得できる知識と情報量の拡大の歴史と深いつながりがある。商品企画づくりと似ていて、人は商品が見えないとほしいという感情が沸き立たないのと同じく、自分がこんなことしたいなぁと思う欲求感情のトリガーは、すでに同じような欲求感情を提示されてようやく確認したり、覚醒したりする。情報が行き届きやすくなり、口承から文字、文字からイラスト、イラストから写真、写真から映像になった情報量の増大でその提示がされやすくなり、自分の感情のトリガーとすり合わせる環境が整ったわけだ。軽快なリズムとダンスを披露する新しいアーティストが出てきて、そのアーティストの熱狂的ファンになった感覚と似ている。そのアーティストが目の前に現れなかったら、そのアーティストへの欲望も出てこないし、好きなジャンルは「演歌」のままだったかもしれないのだ。

知識と情報量の拡大によって、欲望はさらに細分化、最深化していく。そして現代は、ダイバーシティという名のもとで、それを正当化もしくは基準化しようとしている。言い方を変えると美化、英語でいうと「glorify」という表現で、賛美されている。生まれてきた環境に左右されず、人間の欲望に向き合い、新しい発見を作っていくことは、本当に美しいことだと思う。人間のなし得る技でもあり、生まれてきた理由の一つだとも思う。ただ、ダイバーシティと言う形で、まるでマジョリティーの仲間だとでも言うかのように可視化して、それに線を引く人がいるということもいて、その線を引くことを良しと思う人達がいることも、これからの問題点であることも意識したい。


冒頭に、私の忙しさは苦しくないという話をした。

それは、他者の基準値がないことも記した。基準値やジャッジメントが入ったら、崩壊するとも記した。

自分の欲求に基準値はない。引き上げられるものにゲージをつけない。それがいまもっとも大事なことであり、社会への無理な迎合、承認欲求は、逆に安全保障ができなくなることに繋がりかねない。


そう感じた。

とてもいい気付きを与えてくれました。

となりの先生、ありがとうございました。


社会実装デザイン研究室

Implementation Design Institute 社会実装とは、社会課題を解決するだけでなく、それが社会全体の利益へ導くことです。 社会実装デザイン研究室では、”笑顔をつくると同時に社会課題を解決し経済効果を生み出す仕組み”作りを柱として共創し、研究を行っていきます。

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